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神様のお社

神社や好きなものの写真をブログにしています

上野、浅草神社巡り

御朱印 神社巡り 台東区の神社
が満開の4月6日
上野〜浅草を回ってきました
まずは、上野東照宮
 

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感動的な美しさ!
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日光に負けじと豪華絢爛
1651年に徳川家光が造営したものが現存しているそう
素晴らしいです

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ご神木です。樹齢600年
 
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屋台がたくさん出て人が多くてあまり、良い写真撮れませんでした(>_<)
 
 
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忍岡稲荷が正しい名称だそう。
承応三年(1654年)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としました。
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そして、お隣の 医薬祖神 五條天神社 

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第十二代景行天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられた時、薬祖神の大神に御加護を頂いた事を感謝なされて、この地に両神をおまつりなされたとのこと(約1890年前)

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相殿  菅原道真
 
花園稲荷神社五條天神社の御朱印は五條天神社でいただけました。
 
 
そして、不忍池弁天堂
屋台がたくさんで人人人人!笑

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そして、お堂も人だらけ。。。
寛永二年(1625)―江戸の鬼門を護るため、京の比叡山延暦寺に倣って上野の岡に東叡山寛永寺を創建した慈眼大師・天海は、常陸国下館城主・水谷勝隆という人に不忍池を琵琶湖に見立てて池の中に竹生島を模した小島を築かせ、竹生島宝厳寺の弁財天を勧請して弁天堂を建てました。
最初のうちは文字通りの離れ小島で船を使って行き来していたようです。
                                  HPより
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祭神 八臂大弁財天
 
本当は寛永寺にも行きたかったのですがまた次回にして・・・
 
上野公園を出てバスに乗り浅草へGO!
まずは浅草寺
 
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時は飛鳥時代推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依(きえ)し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝(らいはい)供養に生涯を捧げた。
 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊を秘仏と定められ、以来今日までこの伝法(でんぼう)の掟は厳守されている。
 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ増した。江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、大きく繁栄したのである。かくして都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。                         HPより
 
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浅草七福神  大黒天の御朱印
 
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御本尊 聖観世音菩薩
 
浅草寺で御朱印をいただいた時に挟んであった半紙には
次のような言葉が書かれていました。

 

ご朱印について」

この頃、神社仏閣に参拝され「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。

これは「ご納経(のうきょう)」とも呼ばれ、その由来は参詣者がお経を書写して寺社に「お納め」することに始まっております。ですから昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典(ほうのうだいじょうきょうてん)」と書かれておりました。現在は「奉拝(ほうはい)」という文字となっています。

いつの頃か、この作法が簡略化されて、お写経を納めなくとも参詣の証しとして「ご判」を頂くことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する「巡礼(じゅんれい)」信仰と結びついて盛んになりました。これは観音三十三札所あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」を頂くと、その功徳によって地獄には堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいているものです。

このような本義から申しますと、お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。少なくとも『般若心経』」一巻または『観音経』偈文(げもん)などを書写なさるか、ご宝前で読誦されるなどして、その後に「ご朱印」をお受けになるようにして頂きたいものです。

金龍山 浅草寺

 

身に沁みますね。。。ごもっともなお話です。書写などはなかなかできませんがせめて、心を込めてお参りしてありがたく御朱印を授かり大切に扱おうと思います。

 

 
お隣の浅草神社
 
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社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、二人は毎日観音像に祈念するようになった。その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。土師真中知の歿後、真中知の子の夢に観音菩薩が現れ、そのお告げに従って真中知・浜成・武成を神として祀ったのが当社の起源であるとしている。                                 

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祭神 土師真中知 檜前浜成命 檜前浜武成
御神体として、一般の人間(漁師と僧侶)を祭っているのは珍しいけど
素敵ですね♪
 
浅草七福神  恵比寿様の御朱印
 
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浅草神社では他にも被官稲荷神社と浅草富士浅間神社の御朱印がいただけます
が!超ウルトラースーパー方向音痴の私は場所がわからず、行けなかった。。。泣
近いうちに必ず行きます!しかも、被管稲荷神社はすぐ裏だったし(´;ω;`)
 
 
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まだまだ、他にも行きたいところがあったのですが💦時間の関係で行けなかったので近いうちリベンジします🎵
浅草富士 浅間神社は山開きの時には限定御朱印がいただけるそうです。
 
あ~楽しかった♡